寺内町さんぽ
寺内町の中心である専修寺をはじめ、寺町通りから向拝前、仲の町通り、環濠など、一身田には魅力的なスポットがたくさん!
中世以来、江戸・明治・大正・昭和と歴史を重ねてきた町並みを楽しみながら、ゆっくりと散策することができます。
一身田寺内町の館
寺内町の歴史や文化を紹介するガイダンス施設です。
館内には、寺内町のマップやパンフレットなどが揃い、地域散策の拠点として、ボランティアガイドも所属しています。
高田本山 専修寺
真宗高田派の本山です。
国の重要文化財に指定され、現存する木造建築物としては全国で五番目の大きさを誇る「御影堂」や、同じく重要文化財で、阿弥陀如来立像を本尊とする唐風の「如来堂」は必見。
他にも、専修寺の総門にあたり、楼上に釈迦三尊仏が安置されている「山門」や、正面背面ともに大きな唐破風がある「唐門」、親鸞上人の歯骨が五粒納められた「御廟」、一万平方メートルにも及ぶ広々とした専修寺の庭園「霊幽園」など、県や市の重要文化財、史跡が多数あります。
桜門跡
環濠に囲まれた寺内町には、濠に橋を掛け、内側に門を建てた出入り口が三カ所ありました。
桜門は、京都方面の出入り口であり、濠の堤に桜並木があったことが、その名前の由来となっています。
釘貫門
専修寺山門の正面にあり、寺内(寺領)と地下(町家)を区分する門として建てられました。
現在は、道をへだてて整備された石畳が伸び、左右にある玉保院や智慧光院、さらには古い町並みと一体になって、本山の門前にふさわしい雰囲気を作っています。
向拝前
向拝前と書いて「ごはいまえ」と読みます。専修寺に向かい門前で拝するという意味の町名です。
専修寺山門の正面で、かつては旅籠や店が並び賑わいました。
旧村界水路
もとの一身田村と窪田村の境界の溝でしたが、1658に津藩二代藩主藤堂高次が娘を専修寺に輿入れさせるにあたり、この溝の西側の窪田村領地を専修寺に寄進しました。
この溝を境に、寺内町の地番は三桁と四桁に分かれるなど、今も村境であった名残が垣間見えます。
蔵のある風景
高田本山専修寺の門前町で、寺侍の家や商家が立ち並んでいた場所です。門前町の外側には堀がつくられ不審者は入れない構造になっており、特別な保護区として栄えました。
環濠(毛無川)
東西約500m、南北約450m。南側は毛無川を利用しています。寺内町を区画することに加え、町を防御する機能もありました。
一身田の環濠は、寺内町の周囲を巡る環濠としては、日本で唯一ほぼ完全な形で残る貴重なものです。
黒門跡
環濠に囲まれた寺内町には、濠に橋を掛け、内側に門を建てた出入り口が三カ所ありました。
黒門は寺内町の惣門で、門の横には番所がありました。伊勢方面への出入り口で、芝居小屋や水茶屋などが立ち並び、昭和三十年頃まで大変にぎわいました。
道標
かつての黒門から北に進んだ最初の三叉路に立つ道標です。
もともと町の人々への通達を記した高札が立てられた場所で、交通の要所であったことが伺えます。
一御田神社
伊勢神宮の社殿の一部を移設したと伝えられる、神明造りの社殿。
この神社に残る1443年の棟札(建築物の創建・修理に際して、その事実を木札などに記して棟や梁に打ち付けた記録のこと)には一身田の古い歴史が記されている。
太鼓門
専修寺の東側にある左右に長屋がつく四重の櫓門です。
櫓の最上階には太鼓が吊り下げられており、昔は町の人々に時刻を知らせる「時の太鼓」が打たれていました。楼上にある太鼓と合わせ、市の文化財に指定されています。